観光・体験スポット 検索する カテゴリーから探す エリアから探す カテゴリーから探す 全て 世界遺産 寺 博物館・美術館・資料館 神社 古墳・陵墓 庭園・公園 観光施設 建造物 自然・景勝地 お土産 食 なら燈花会 その他 エリアから探す 1東大寺・奈良公園 2ならまち 3平城宮跡・佐紀 佐保路 4きたまち 5富雄・学園前 6西大寺・西ノ京・大安寺 7清澄の里 8滝坂の道 9柳生 10月ヶ瀬 11田原 12都祁 13高畑 14奈良市外 15京都府南部 検索する 条件をリセットする 検索する 条件をリセットする 全266件: 145 - 168件 更新順 人気順 近い順 飛火野 春日大社境内 飛火野は、春日大社表参道に面した広大な芝生の原。鹿が常に群れ遊び、御蓋山(みかさやま)の絶好のビューポイントです。現在は飛火野(とびひの)と呼ばれていますが、古くは春日野(かすがの)とも呼ばれ、御蓋山を仰ぐ古代祭祀の地でした。「飛火野」の名の由来は、鹿島大明神が春日の地にお着きになられた時、お供の八代尊(やしろのみこと)が道明かりとして口から火を吐き、その炎がいつまでも消えず飛... 庭園・公園 自然・景勝地 東大寺・奈良公園 平宗 奈良店 猿沢池の南側、奈良町にあります。おひとりさまでもお気軽にご来店いただけます。柿の葉ずしの販売もあります。 食 ならまち 柳生花しょうぶ園 柳生陣屋跡近くにある花しょうぶ園は、1万㎡の広大な園地に80万株にも及ぶ花しょうぶが栽培されています。6月~7月上旬が見ごろです。 庭園・公園 柳生 吉城園 興福寺塔頭・摩尼珠院の跡に造成された庭園。日本庭園と離れ茶屋から成り、春日山、若草山を借景として取り入れています。杉苔が美しい庭です。 庭園・公園 東大寺・奈良公園 小治田安萬侶墓 奈良時代の官僚・小治田安萬侶の墓で国の史跡です。 明治45年に発見、昭和26年に発掘調査され、火葬墓であることが確認されました。 墓から発見された金銅製の墓誌には、「右京三條二坊従四位下小治田朝臣安萬侶大倭国山邊郡都家郷郡里崗安墓神亀六年(729)歳次己巳二月九日」という銘がありました。他にも、銀製の和同開珎、須恵器、土師器が出土しています。 古墳・陵墓 都祁 奈良市美術館 市民の美術鑑賞と創作活動の活性化を目指して平成15年に設置された美術館です。商業施設の中に位置し、市展「なら」の開催や幅広いテーマの展覧会も実施しています。また、市民による作品発表の場としても貸し出しています。 博物館・美術館・資料館 平城宮跡・佐紀 佐保路 帯解寺 華厳宗の古寺で俗に帯解地蔵と呼ばれています。平安前期、文徳天皇の皇后藤原明子がお子様に恵まれずお悩みの折、当寺本尊にご祈願され、まもなくご懐妊、無事清和天皇を安産されたことから帯解寺の名がついたと伝えられています。最近では美智子皇后、皇太子妃雅子殿下、秋篠宮妃紀子妃殿下にも岩田帯を献納しています。全国から多くの人が安産祈願に訪れています。 寺 清澄の里 南市恵毘須神社 創建は鎌倉時代と伝えられています。 毎年1月5日に初戎が行われ、(南市の初戎) 多くの参拝客でにぎわいます。 神社 ならまち 子規の庭 俳句 短歌 文章を含めた日本語の革新を目指して35年の短い生涯を駆け抜けた正岡子規は、明治28年10月東京に帰る途中、奈良に立ち寄り屈指の老舗旅館「對山樓(たいざんろう)」に宿泊して 秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味 など多くの句を残しました。その跡地に上記の句碑を建立し、当時から現存すると思われる柿の古木を中心に子規が好んで詠んだ草花を植え、東大寺大仏殿と若草山を借景とする庭園です。 庭園・公園 東大寺・奈良公園 旧柳生藩家老屋敷 柳生藩の財政立て直しを行った、家老小山田主鈴の旧屋敷。 豪壮な石垣がみごとで、天保12年(1841)尾張石工が築いたと刻まれています。 昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、氏の小説「春の坂道」(NHKでドラマ化)の構想を練った屋敷として注目を集め、氏の亡き後は、その意志により、奈良市へ寄贈されました。 博物館・美術館・資料館 柳生 史跡恭仁宮跡(山城国分寺跡) (木津川市)聖武天皇の宮跡>天平12年(740)に平城京から遷都された恭仁京。造営途中の天平16年(744)に恭仁京が廃都後、大極殿は山城国分寺の金堂として使用され、あわせて七重塔など伽藍が整備された。そのため全国でも稀な二つの重要遺跡が複合することになり、現在、大極殿跡に当時の礎石が点在し、隣接して塔跡の巨大な礎石群が残り、その一帯は平成19年(2007)「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」という... 庭園・公園 京都府南部 浄瑠璃寺 本堂に九体の阿弥陀仏が横に並んでいることから、九体寺とも呼ばれる。 本堂、三重塔、九体の阿弥陀如来坐像、四天王立像は、いずれも平安時代のもので、国宝に指定されている。 吉祥天立像開扉/正月、春、秋 三重塔公開/毎月8日、正月3ヵ日、彼岸の中日(晴天時のみ) 寺 京都府南部 くろんど池 (生駒市)江戸時代寛永元年(1624)に開堀され、農業用水のため池として地域の米づくりを支えてきました。池の畔には「くろんど荘」「松美荘」があり、食事、宿泊、ハイキングやバーベキューを楽しむことができます。 自然・景勝地 奈良市外 往馬大社 (生駒市)正式には、往馬坐伊古麻都比古神社といい、生駒神社とも呼ばれています。 生駒市中部から南部地域の生駒谷十七郷の氏神として崇められ、秋の「火祭り」は別名「勝負まつり」と言い、北と南に分かれた氏子の競争によって神事が行われ、松明を持って駆け降りる勇壮な姿を見ることができます。 その他 奈良市外 瀞峡 (十津川村)瀞峡は和歌山県、三重県、奈良県の三県にまたがる北山川の渓谷で、上流から奥瀞、上瀞、下瀞と呼ばれています。その中でも十津川村田戸集落周辺の下瀞は「瀞八丁」と呼ばれ、静かな川面と断崖絶壁の絶景が広がり、国の特別名勝天然記念物に指定されています。 瀞峡にある、「瀞ホテル」では瀞八丁を眺めながら軽食を楽しめます。また、SUPやカヌーなどのレンタルもあり水のアクティビティで遊べます。「川... 自然・景勝地 奈良市外 国指定史跡乙女山古墳 (河合町) 『河合町史跡&古墳巡り御墳印帖プロジェクト』の御墳印にもなっています。 大きな後円部に較べて前方部が極端に短く低平な帆立貝形(帆立貝式)古墳として有名な古墳です(墳丘長130m、後円部直径103m、前方部幅52m、前方部長30m、後円部高14.7m、前方部高3.5m)。 昭和62年度に墳丘裾部の発掘調査が行われ、円筒埴輪の他、家形埴輪、壺形埴輪、蓋形埴輪等の形象埴輪や土製... 古墳・陵墓 奈良市外 龍王山 (天理市)天理市の南部にある龍王山は、自然が美しく、歴史豊かな低山です。麓から山頂までは約2~3時間がかかり、関西圏からの日帰り登山にぴったりです。 山頂からは、奈良盆地を囲む大和三山、盆地の西に連なる山並みが広く見えます。天気の良い日には二上山の奧に大阪平野や大阪湾が見えて、運が良ければその先に明石海峡大橋を見ることができます。 9世紀のお寺から始まる「長岳寺ルート」と、第十代崇神天皇... 自然・景勝地 奈良市外 般若寺 寺伝によると629年高句麗の僧慧灌がこの地に寺を建てたのが始まり。その後天平7年(735)聖武天皇の時、平城京の鬼門鎮護のため堂塔を造営されたと伝えられています。京都から奈良への要路にあたるため、治承の兵火で戦火をこうむりましたが、西大寺の叡尊上人により文殊の霊場として復興され、庶民救済の文殊会を盛んに開くようになりました。鎌倉期の優美な建築様式をもつ楼門〔国宝〕が残っています。楼門の奥正面... 寺 きたまち 大安寺 聖徳太子が平群に建てた熊凝精舎がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。南都七大寺のひとつに数えられ、左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、南大寺とも呼ばれて大安寺式の大伽藍を誇っていました。西の薬師寺に対峙する国家鎮護の寺でもありました。現境内の南に残る塔跡に昔日の威容を偲ぶことができます。旧境内の一部に杉山... 寺 西大寺・西ノ京・大安寺 菅原はにわ窯公園 菅原東遺跡埴輪窯跡群は約1500年前の古墳時代に埴輪を焼いた窯跡で、発掘調査により見つかりました。菅原はにわ窯公園は、この遺跡を保存し、展示公開するために整備したものです。「菅原」の地は古墳築造に関わっていた土師(はじ)氏が居住していた場所で、土師氏により埴輪づくりが行われていたとみられます。公園には、埴輪窯を発掘した状態で展示しており、また、出土した埴輪を元に作成された馬形埴輪などのレプリ... 博物館・美術館・資料館 西大寺・西ノ京・大安寺 海龍王寺 天平3年(731年)海龍王寺は、遣唐使の留学僧として唐に渡った玄昉(げんぼう)が一切経五千余巻と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願うため、また平城宮の東北(鬼門)の方角を護るために光明皇后によって創建されました。玄昉が帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、「海龍王経」を一心に唱えたところ、九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことより遣唐使の渡海安全祈願を営むようになり、寺号が海... 寺 平城宮跡・佐紀 佐保路 南明寺 宝亀2年(771)の創建といわれる古寺。本堂〔重文〕は鎌倉時代の寄棟造りで、本尊薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の藤原三仏〔いずれも重文〕が安置されています。境内には鎌倉時代の宝篋印塔、室町時代の十三重石塔などがあり、近くに柳生宗矩とお藤の恋を伝える「お藤の井戸」があります。 ※令和4年8月31日まで、新型コロナウイルス感染拡大防止のため拝観停止が延長されます。境内への立ち入りはいかなる理... 寺 柳生 峠茶屋 昔、寺院用の石材が切り出されたと伝えられる石切峠の峠道を少し下がったところに、かつて柳生街道を往来した人々が必ずここで一服したといわれる、昔風の峠の茶屋があります。鴨居には、武芸者が酒代がわりに置いていったという槍や鉄砲が立てかけてあり、また、神道無念流の極意書や鉄扇なども伝えられています。 その他 清澄の里 元明天皇陵 平城遷都を行った女帝の御陵。 古墳・陵墓 きたまち ‹ ... 5 6 7 8 9 ... ›