観光・体験スポット 検索する カテゴリーから探す エリアから探す カテゴリーから探す 全て 世界遺産 寺 博物館・美術館・資料館 神社 古墳・陵墓 庭園・公園 観光施設 建造物 自然・景勝地 お土産 食 なら燈花会 その他 エリアから探す 1東大寺・奈良公園 2ならまち 3平城宮跡・佐紀 佐保路 4きたまち 5富雄・学園前 6西大寺・西ノ京・大安寺 7清澄の里 8滝坂の道 9柳生 10月ヶ瀬 11田原 12都祁 13高畑 14奈良市外 15京都府南部 検索する 条件をリセットする 検索する 条件をリセットする 全266件: 145 - 168件 更新順 人気順 近い順 宝山寺 (生駒市)生駒山の中腹にある宝山寺に祀られている歓喜天は「生駒聖天」さんとして親しまれ、商売繁盛などの神様として、本尊の不動明王とともに広く信仰されています。また国指定文化財である客殿「獅子閣」は、明治時代の宮大工の技術とセンスを盛り込んだ洋風建築。年に数回一般公開されています。 その他 奈良市外 大和神社 (天理市)日本最古級の神社の一つとして、大和神社は古代まで遡る豊かな歴史を守りながら、地元の人とともに昔ながらの伝統行事を大切にしています。 御祭神は大地主大神である日本大国魂大神です。創建は第十代崇神天皇の時代です。奈良時代、唐の国(現在中国)へ渡った遣唐使は出発の前に、大和神社で交通安全を祈願されたことから、当社が交通安全の発祥地だとされています。その時、山上憶良が「いってらっしゃい、... 神社 奈良市外 遺構展示館 発掘調査で検出された遺構そのものを、覆屋(おおいや)と呼ばれる保護施設の中で保存・展示しています。また、井戸枠や木樋(もくひ)などの出土した遺物や、調査研究を基に復原した内裏(天皇のすまい)などの建物模型も見応えがあります。第一次大極殿、朱雀門、東院庭園と同様に、文化庁が設置・所有する施設です。 博物館・美術館・資料館 平城宮跡・佐紀 佐保路 入江泰𠮷旧居 奈良の仏像、風景、伝統行事、万葉の花などを半世紀以上に渡り、撮り続けた写真家 入江泰𠮷氏の旧居。奈良を体感できる様々なイベントを開催されています。 建造物 東大寺・奈良公園 霊山寺 聖武天皇の勅願により、行基が大堂を建立。登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、天平8年(736)に婆羅門僧正 菩提僊那が寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上し、落慶された真言宗のお寺。広い境内には鎌倉時代の本堂(国宝)、三重塔(重文)、室町時代の鐘楼(重文)などの古建築と、弁才天を祭った昭和36年完成の金殿、白金殿などが建ち、古代現代両方面の芸術文化を味わうことが... 寺 富雄・学園前 元正天皇陵 養老律令をつくらせた平城京第二代目の女帝の御陵。 古墳・陵墓 きたまち がんこ一徹長屋・墨の資料館 長い歴史に鍛えられた大和の伝統を受けついだ6人の匠がこだわりの技を存分に魅せる職人長屋です。一刀彫「志清」、乾漆工房「直」、博文堂 「奈良筆」、表具「法斎堂」、茶筅「左京工房」、赤膚焼「大塩恵旦」 その他 西大寺・西ノ京・大安寺 丹生神社 神社 柳生 旧柳生藩家老屋敷 柳生藩の財政立て直しを行った、家老小山田主鈴の旧屋敷。 豪壮な石垣がみごとで、天保12年(1841)尾張石工が築いたと刻まれています。 昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、氏の小説「春の坂道」(NHKでドラマ化)の構想を練った屋敷として注目を集め、氏の亡き後は、その意志により、奈良市へ寄贈されました。 博物館・美術館・資料館 柳生 追分梅園 追分梅林はSPSきずなやとコラボすることにより、400本の梅を植樹することが できました。 先代が植えた50数年前の梅も残っており、1本いっぽん花を咲かせています。 毎年3月中旬に「追分梅園 観梅会(10時~15時/入園料300円(中学生以下無料)土曜・日曜は屋台も出店)」が開催されます。 自然・景勝地 富雄・学園前 秋篠寺 奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています。平安時代末期に戦火のため伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂がもとの講堂の跡に再興されましたが、金堂や東西両塔の跡は雑木林になってしまっています。本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(重文)で、諸技諸芸の守護神と... 寺 西大寺・西ノ京・大安寺 西大寺 本堂 現在の西大寺の中心になるお堂。18世紀の土壁を用いない独特の建築技法による奈良市屈指の巨大な近世仏堂で、重要文化財にも指定されています。 堂内には、中央に本尊の釈迦如来像、向かって左に文殊菩薩及び四侍者像、向かって右に弥勒菩薩坐像などが安置され、周りの燈籠が荘厳さを高めています。 寺 西大寺・西ノ京・大安寺 瑜伽神社 奈良ホテルの東側、国道169号線を入った小径に一の鳥居があります。目を見張るような石段を登りつめれば朱色に美しい拝殿があり、振り返れば大和青垣を見わたせ、空気の澄んだ日には稀に大和三山を望むこともできます。古の飛鳥京にその佇まいが似ていることから「平城(なら)の飛鳥」ともいわれ、現在は全域が歴史的風土特別保存地区(春日山特別保存地区)に指定されています。拝殿東側にはその情景を詠んだ大伴坂上郎... 神社 東大寺・奈良公園 安堵町歴史民俗資料館 (安堵町)安堵町歴史民俗資料館は今村氏の邸宅を活用した展示施設です。幕末には伴林光平など後の天誅組に関わった人物が集い、盛んに文化交流がなされました。奈良県再設置運動に尽力した、運動家今村勤三の生家でもあります。主な展示内容は、江戸時代から伝わる古文集や、日々の生活で人々が使用した民具の数々、町の伝統産業であった「灯芯ひき」などです。投函では、先人が残した暮らしの中で継承するため、年間を通じ... 博物館・美術館・資料館 庭園・公園 お土産 奈良市外 長林寺跡 (河合町) 『河合町史跡&古墳巡り御墳印帖プロジェクト』の御墳印にもなっています。 推古24年に推古天皇の病気平癒を祈願して、聖徳太子が建立したと伝えられています。戦国時代に荒廃し、江戸時代に矢田の発志院の古篆和尚により禅宗黄檗流寺院として再興されました。 発掘調査により、金堂が西に、塔が東にある斑鳩の法起寺式伽藍配置の寺院であったことが確認されています。聖徳太子の時代にはわずかな建... その他 奈良市外 三宅町交流まちづくりセンターMiiMo(みーも) (三宅町)子どもたちが、まちのみんなが、もっと三宅を好きになるために。 三宅にあるものを活かし、三宅になかった新たな魅力を生み、三宅の未来を育む。を目標として、 グランドコンセプトに 子どもも大人も自分ごととして関わり、まちのみんなができること・やりたいことを積み重ねながら、三宅町の未来を育むまちの拠点。 奈良市外 正暦寺 一条天皇の発願により、関白九条兼家の子兼俊が正暦3年(992)に創建。かつては伽藍が並び建つ大寺でしたが、今は本堂、鐘楼、福寿院を残すのみ。菩提仙川の渓流に沿う山道には苔むした石垣が続き、かつての豪壮な寺坊がしのばれます。秋は“錦の里”と呼ばれるほど、紅葉が美しいことでも知られています。 寺 清澄の里 天極堂奈良本店 奈良の名産「吉野本葛」の専門店。四季折々の景観とともに、葛切りや葛饅頭などの葛菓子、うどんや季節の膳などの葛料理が楽しめます。また、吉野本葛を使ったお土産、贈答品なども多数取り揃えています。 お土産 食 東大寺・奈良公園 料亭 菊水楼 伝統に磨かれた味わいとおもてなし。名士や文豪などに愛されてきた老舗料亭の伝統は、美食とおもてなしにも。 その年その季節に最もおいしい食材を厳選し、持ち味を余すことなく引き出した料理。 五感で楽しめるように細やかなしつらえや漂うかおりにまで心を配ります。 食 東大寺・奈良公園 正木坂道場 昭和40年に建てられた道場で、柳生宗矩の長子柳生十兵衛三厳が門着1万人以上に教えたという道場に因んで「正木坂道場」と名付けられました。現在も現代剣道や古武道の稽古に使われていますので、観光目的の拝観は原則受け付けておりません。 建造物 柳生 鶯塚古墳 山焼きで有名な若草山(標高342メートル)の頂上に築かれた全長103メートルの前方後円墳。『枕草子』に登場する鶯陵はここともいわれ、後円部には「鶯陵」の石碑が立っています。一面の芝におおわれた墳丘からは、国の史跡ですので、立入禁止区域です。 古墳・陵墓 東大寺・奈良公園 菅原はにわ窯公園 菅原東遺跡埴輪窯跡群は約1500年前の古墳時代に埴輪を焼いた窯跡で、発掘調査により見つかりました。菅原はにわ窯公園は、この遺跡を保存し、展示公開するために整備したものです。「菅原」の地は古墳築造に関わっていた土師(はじ)氏が居住していた場所で、土師氏により埴輪づくりが行われていたとみられます。公園には、埴輪窯を発掘した状態で展示しており、また、出土した埴輪を元に作成された馬形埴輪などのレプリ... 博物館・美術館・資料館 西大寺・西ノ京・大安寺 奈良町資料館 南都七大寺のひとつ、元興寺の門前町として栄え、かつての奈良町の佇まいを今に残す西新屋町に「奈良町資料館」があります。 昭和60年に私設資料館として誕生した「奈良町資料館」には貴重な資料として、懐かしい昔の看板、美術品や奈良町の艮俗資料や、仏像などがあり、無料公開しております。生活のぬくもりが感じられる民具類を見て、懐かしむお年寄り、昔の人の智恵に目を丸くする子供たち、守り伝えられてきた仏様に... 博物館・美術館・資料館 ならまち 日葉酢媛陵古墳 (陵山古墳) 全長207メートルの前方後円墳。日葉酢媛は垂仁天皇の后で、「古事記」には、日葉酢媛が亡くなった時、野見宿袮(のみのすくね)の意見をとりいれ、埴輪をつくるようになったとする埴輪の起源説話が残されています。 古墳・陵墓 平城宮跡・佐紀 佐保路 ‹ ... 5 6 7 8 9 ... ›